ナイキ「ヴェイパーフライ」限定モデルがお洒落すぎ!ブルーリボンモデルとは?




話題の厚底ランニングシューズ「ナイキ ズームエックス ヴェイパーフライ ネクスト%」のブルーリボン・モデルが米国限定発売のニュース!

 

陸上の国際統括団体、ワールドアスレチックス(世界陸連)は2020年1月31日、靴底の厚さが40ミリメートルを超えるシューズの禁止を柱とする新たなルールを発表。

男女マラソンの世界新など好記録が相次ぎ、規制される可能性が取り沙汰されていた米スポーツ用品大手ナイキの靴底の厚さが36ミリのシューズ「ヴェイパーフライ」シリーズの使用は認められることになりました!

 

今後ますます注目が集まる「ナイキ ズームエックス ヴェイパーフライ ネクスト%」のブルーリボン・モデルとは??

 

ナイキが国際配送の禁止を徹底しているいま、日本にいながらにして入手するのは困難を極めため、プレミアム化必至のランニングシューズのようです。

欲しい……!!

米国限定発売の「ナイキ ズームエックス ヴェイパーフライ ネクスト%」のブルーリボン・モデルについて調べてみました!!




 

ナイキヴェイパーフライ:知らざれるナイキとオニツカタイガーの関係とは?

ナイキ創業者はアスリートだった

ナイキ創業者のフィル・ナイト氏は、オレゴン大学時代には陸上選手として活躍していました。のちにスポーツ界を牛耳る男は根っからのアスリートだったようです。

その後、陸軍への参加を経て名門スタンフォード大のビジネススクールに進学しますが、自分の精通することでビジネスプランを練るという課題において「日本のスポーツシューズは、カメラ分野と同じくドイツ勢に迫り勝てるのか?」といったテーマの論文を書いたことが知られています。

当初から日本の技術力の高さや(当時の)製造コストの低さに注目し、日本のスポーツシューズが世界に通用する可能性を感じていたのです。

オニツカタイガーとナイキ、創業者の出会いは

オニツカタイガー(現・アシックス)の創始者である鬼塚喜八郎氏とナイキ創始者のフィル・ナイト氏が出会うのは1962年11月。

卒業旅行で日本の神戸に立ち寄ったフィル・ナイト氏はオニツカタイガーシューズの高性能と低価格に感激し、すぐさまオニツカ社に連絡。鬼塚喜八郎氏と直接面会し、米国西部での販売代理店契約が即座に決定したといいます。

鬼塚喜八郎氏はのちに語っています「裸一貫で事業を始めたいとの彼の心意気に創業当時にリュックをかついで全国を歩いた自分の姿が重なり、この若者に思い切って販売店をやらせてみることにした。(日経新聞「私の履歴書」より)」と。

ナイキ創業者フィル・ナイト氏の苦難

1964年、オレゴン大学の陸上コーチであったビル・バウワーマンと共同でナイキの前身であるブルーリボンスポーツ社を設立し、日本からオニツカタイガーのランニングシューズを輸入しアメリカ国内で販売し始めます。

当初、店舗は持たず車の後部座席に靴を積み込んでで各地をまわりながら営業していた上、ブルーリボンスポーツ社の売り上げでは食いつなぐことができず、フィル・ナイト氏はポートランド州立大学で会計を教えたり会計士をしながら生計をたてていたといいます。

1966年にはサンタモニカに一号店をオープン、そしてようやく努力が結実して1969年にはブルーリボンスポーツ社の事業に専念できるまで成長します。またこの過程において、一般的な代理店とメーカーの枠組みを超え、ブルーリボンスポーツ社がアメリカ人にウケる機能性やデザインをオニツカ社に提案しオニツカ社が製品に反映するという密接な連携をとっていました。特にコーチ時代からシューズの研究を重ねてきたバウワーマンは積極的に製品に対する指摘を行っていたそうです。

オニツカタイガーとの提携を解消、自社ブランド展開へ

バウワーマンのアイデアによってオニツカは1968年に「タイガー コルテッツ」をデザインする。これは「タイガー マラソン」と並ぶブルーリボンスポーツ社の看板となります。しかし、たび重なるオニツカの輸送や発注トラブルに不満を抱いたブルーリボンスポーツ社は日本の総合商社である日商岩井(現・双日)の融資を得たこともあり、自社でシューズを生産することに決定。1971年にオニツカとの提携を終了します。

フィル・ナイト氏とビル・バウワーマン氏はさらなる成功と理想のシューズ開発を目指して自社ブランドシューズの展開を準備していきます。そしてついにオニツカとの契約解消後、福岡のアサヒコーポレーション(ブリヂストンの源流)にトレーニングシューズを製造委託。1971年には、自社ブランド「NIKE(ナイキ)」の象徴スウッシュの入ったシューズを発売します。

ナイキの象徴「スウッシュ」誕生から社名変更へ

1971年6月18日、ナイキの象徴である「スウッシュ」がデザインされた最初のシューズが発売。「スウッシュ」がギリシャ神話の勝利の女神である「Nike」が翼を広げたデザインに見えなくもないことから、社員の助言でシューズのブランド名を「Nike(ナイキ)」とし、社名もナイキに変更されます。

創業当初はメキシコの工場で生産していたが、高品質なシューズを生産するために日商岩井の仲介によりオニツカタイガーの競合社である福岡県の日本ゴム(現・アサヒシューズ)の工場でトレーニングシューズを生産することになり、1972年より生産を開始します。

オニツカタイガーとナイキ、「コルテッツ」をめぐる裁判争い

一方で、オニツカとの提携終了後もバウワーマンの名付けた「コルテッツ」の名称をオニツカが使用していたため裁判を起こすこととなります。

裁判は1974年に決着し、ナイキはオニツカから「コルテッツ」の使用権を獲得。オニツカはナイキに1億数千万円の和解金を支払うことになり、「タイガー コルテッツ」は「タイガー コルセア」(現・「アシックス コルセア」)に名称が変更されます。

鬼塚喜八郎氏は、のちに日経新聞「私の履歴書」において
「ブルーリボンスポーツ社と販売会社設立の計画を進めていたところ、日本の商社の勧誘で他のメーカーからの仕入れに切り替えてしまった。驚いた私はすぐに別の販売店と契約したが、日本の商慣習になじまないそのドライな行動に裏切られた気がしたものだ。」
「まずいことにブルーリボンスポーツ社が使っていたニックネームを引き続き使ったため、その使用権の帰属をめぐって対立、訴訟を起こされた。結局和解に応じたが、和解金額は弁護士費用を含め1億数千万円。海外展開するうえで良い経験だったとはいえ、高い授業料を払わされた。これが後に急成長したナイキである。」と語ったそうです。




 

ナイキヴェイパーフライ:ブルーリボンモデルはクラシックスニーカーのようなお洒落なデザイン

 

落書き風のデザインが印象的でクラシックスニーカーのようなファッショナブルなランニングシューズです!!

ホワイトのアッパーには、ブルーの文字で手書きの文字やイラストが描かれています。

メッセージにはブルーリボンスポーツ社のオフィスがあった住所や通り名があり、創業当初の頃へのオマージュがうかがえます。

これまでのピンク、グリーン、オーロラなどのド派手な「ズームエックス ヴェイパーフライ ネクスト%」とは打って変わって、遊び心を感じるスタイリッシュな仕上がり。

ランニングシューズとしてはもちろんながら、ファッションスニーカーとしてもデザイン性が高く、普段づかいしても違和感のない一足ですね!!

 

ナイキの新作「ズームエックス ヴェイパーフライ ネクスト%」ブルーリボン・モデルは、ブルーリボンスポーツ社の創業日である1月25日より北米の7店舗限定で販売するそうです。

価格は250ドル(1月22日の換算レートで約2万7500円)。既にバイマなどの通販サイトでは、プレミアム価格で取引されています。




レースのレベルを引き上げたナイキヴェイパーフライ偉業

NIKE(ナイキ)の歴史をグラフィカルに記した最速ランニングシューズ!
2019年10月12日、オーストリアのウィーンで開催された、”イオネス 1:59 チャレンジ”でフルマラソン2時間の壁に挑んだ史上最高のマラソンランナー、”ELIUD KIPCHOGE(エリウド・キプチョゲ)”。

国際陸連非公認ながら、42.195kmを1時間59分40秒という記録で、ついに人類史上初めてフルマラソン2時間の壁を突破。

また、ブリジッド・コスゲイが女子マラソンの世界記録を16年ぶりに更新。2人のパフォーマンスの足下には、ナイキの「ヴェイパーフライ」シリーズがありました。コスゲイは従来の世界記録(2:15:25)を81秒更新したが、今年の好記録ラッシュの象徴である 「ヴェイパーフライネクスト%」を履いていました。

2017〜19年にマラソンサブ2:07を出した選手で、かつ自国のマラソン最高記録を更新したのはキプチョゲ(ケニア)、ベケレ(エチオピア)、ファラー(イギリス)、大迫傑(日本)など12名。そのうち11名が「ヴェイパーフライネクスト%」を履いていたことから、「ヴェイパーフライネクスト%」がトップレベルの選手の競技力向上に貢献したことは明確です。

2019年のシカゴでは世界記録更新のコスゲイだけでなく、男子1〜10位も全員「ヴェイパーフライネクスト%」を着用。

MGC、大学駅伝、箱根予選会でも同じように「ヴェイパーフライネクスト%」を履く選手で溢れ、駅伝は区間新記録、ロードレースは大会新記録ラッシュ。「ヴェイパーフライ4%」が2017年に登場してから記録はジワジワと伸びていましたが、2019年に「ヴェイパーフライネクスト%」にアップデートされ、記録の伸びがさらに顕著となりました。